伝統的な農業社会の中で、廟会(縁日)は祭祀活動をする以外に、各種の民間芸陣団体のパフォーマンスもあります。そして、庶民もこのような廟会の祭りに参加するのが好きで、神に対する敬虔な感謝の気持ちがり、またカーニバルのような狂喜的作用もあります。
保安宮は伝統上、毎年の保生大帝の生誕祭は地域にとり重大な祝典活動です。
民国83年(1994)、保安宮はこのような伝統的な廟会活動に現代的な人文精神を注入して、一種新しい文化の活力とさせました。そして「保生文化祭」活動への発展が始まったのです。

遶境は神が集落境界内を巡回して、神霊の力で「村全体の平安」を守ることです。 
保安宮の遶境活動は保生大帝神生誕前日の旧暦3月14日に挙行されます。午前中、まず保安宮の廟庭で民俗競技が行われます。午後1時から、報馬仔、土地公、頭旗車などが真っ先に先導し、続いて、各寺廟の軒社、力士会、芸陣などが1列になって廟の前に入り、長寿を祝うパフォーマンスを展開します。隊列は当宮の正門から出発し、長く限りなく続くさまはきわめて壮観です。
毎年、遶境ルートはほぼ同じで、遶境の範囲は大龍峒、大稻埕地区を含みます。パレードの先頭が宮廟を通る時、爆竹を鳴らして歓迎の意味を示し、ある宮廟は先頭が神に向ってお辞儀する時、さらに鐘と太鼓を一斉に鳴らします。 
遶境の隊列は通常、夕方になってようやく廟に戻ります。各祖保生大帝を恭しく迎え、宮に戻った後、はじめて全ての遶境活動が終わったと言えます。続いてすぐのイベントが「放火獅」で、遶境を高潮に押し上げます。

「芸陣」は芸閣と陣頭を合わせた名称で、民俗的な廟会活動にとって不可欠なパフォーマンスです。 
「芸閣」は別名を「詩意閣」、「花車」と言い、そのスタイルは車にボックスを取り付け、上に民間伝説の人物を乗せます。「陣頭」もやはり民俗パフォーマンス団体を指し、宗教、音楽、趣味、芝居などのタイプに分かれます。
廟会の祝典時にはいつも、廟自身が神さまに恭しく巡回に出ていただく以外に、各祭祀団体や信者も芸陣を招いてイベントを盛り上げ、パフォーマンスを支援します。これは神に報いるという意味のほかに、陰に力比べの意味合いもあり、そのため多くの風俗民情が残されています。

台湾伝統の地方戯曲の公演活動は、グループの参加により、感情表現と族群の連帯感という目的を相当程度達成することができます。保安宮の毎年の家姓戯は、まさにこれにより、大龍峒同安人の求心力を効果的に凝集させています。 
しかし、都市が急速に開発されるにつれ、大龍峒は旧コミュニティとなりました。多くの居住者が他の場所へ移住し、新たに引っ越してきた人々が加わり、親族組織は日に日に崩壊しました。そのため家姓戯固有の社会文化の特質もすでに存在しなくなりました。 
現在、「保生文化祭」中、「家姓戯」のパフォーマンスは依然としてにぎやかに行われていますが、とっくにモデルチェンジし、近代的社会の中で民俗文化の新しい姿になっているのです。その劇のタイプは過去と比べて更に豊富で、布袋戯、高甲戯、歌仔戯、北管戯と南北管の演奏を包括し、パフォーマンス団体にはプロの劇団、保安宮社団、学校の芸術科などの3タイプが含まれます。家姓戯に参加する団体メンバーについて言うと、とっくに伝統的性質の「家姓」に限定せず、源はいっそう拡大しています。

旧暦3月15日は保生大帝の誕生日です。当宮では常に当日生誕の祭典を三献礼の古礼に則って挙行しています。
初めの太鼓から荘厳な迎神、保生大帝の霊験を称えて唱え、祝文や絹などを焼き、式典全体が終わるまで、場面は荘厳で厳粛です。
祭典中には、いつも政府長官を招き、線香をあげて祀ってもらいます。

寺廟を文化的なレジャー観光の中心として広め、郷土芸術に対する興味を増進してもらうため、当宮は「保生文化祭」の期間、いつも「古跡ガイド」活動を行っています。
このような活動は各界から非常に歓迎され、休日のガイド以外に、各政府、社会、宗教、学校などのグループが皆団体で見学に来ます。案内を通して、人々はすぐに歴史と接して、祖先と親密になり、宗教芸術の貴重な宝物に対する認識と敬慕が増えます。

保生大帝は医神なので、文化祭の活動では漢方医の無料診察、漢方医療講座、漢方文物薬材展を行います。
当活動は保生大帝が医者として病人を救った精神を継承していると言えます。当宮の信仰の特質が現れ、また現代科学に適した態度と方式で漢方の文化を保存し発揚しています。

台湾の国民に保安宮を見てもらう機会を与えるための保安宮をテーマとした撮影コンテストです。専門家によって優勝作品を選出して、「保生文化祭」シリーズ活動と組み合わせ、同時展示しました。今回の活動は寺廟の建築芸術を推進し、カメラマンの注意を引きつけるなどの目標を達成しました。さらにマスコミの協力を通じて、保安宮と「保生文化祭」活動をうまく宣伝し、一挙数得と言えます。その後、数年の保生文化祭でも度々撮影コンテストを催しています。
小さい時から着実に民俗文化教育の根を下ろすため、当宮は83年(1994)の「保生文化節」で第2期児童絵画コンクールを催しました。「保生文化節」の動態、静態の展示活動の追憶画、或いは廟会活動の想像画をメインとし、これにより、子供達が宗教民俗文化に関心を持つのを助け、そして子供の美感能力と鑑賞能力を高め、レジャーライフの内容を豊かにします。
この活動は今なお「保生文化祭」中、常に開催しています。

にぎやかに沸き返る巡回パレードのほか、当宮は静態の文物展覧も催しています。
文物展の内容は主に当宮が常設する展示品です。最近の修復で淘汰された保存文物と各種旧式の祭器を包括し、例えば清代嘉慶年間の木彫りの竜頭、花鳥雀替、青磁双竜花瓶、醴(甘酒)瓶、八卦香炉、保生大帝の竜袍、竜耳炉、方鼎、燭台、日本大正時代の古い帳簿などです。

「保生文化祭」のクライマックスは保生大帝生誕当日の「火渡り」です。
当宮の火渡り儀式は歴史が長く、大台北地区内にはわずかしか残っていません。しかも同安の故郷の特色的な宗教習俗を保留していると言えます。しかし当宮は取り立てて観光化せず、昔の実施内容の主旨を一切壊していません。例えば火渡りの前に神明に問う時や、聖人の巡回、聖意の指示に従い材料の薪を置くなどの流れはみな百年来の習わしの特色を維持しています。

全体的に見ると、当宮が催す「保生文化祭」は、伝統的な民俗信仰の祭典を基礎とし、さらに新しい文化的資質をプラスして、モデルチェンジさせ、宗教、文化、観光、民俗の特色を兼ね備えた活動にしました。そのため毎年、地域にセンセーションをもたらし、また北部台湾の盛大な年間行事になっています。